2015/03/30

博士と彼女のセオリー

  この日本語のタイトルは少々希薄な印象を免れないが、一方で THE THEORY of  EVERYTHING という副題も併記されていて、さしずめ、二人が選んだ「全ての理論」とでも訳せば良いのか、なかなか、理屈っぽい表題になっている。しかし、原作は Traveling to infinity: My life with Stephen 著者ジェーン・ホーキング。つまり、奥様の視点で書かれた物語。こちらは、単純明快で分かりやすく 「いつまでも旅する:スティーブンとの私の人生」 と言うことになる。スティーヴンとジェーンの恋愛に始まり、25年に渡る結婚生活を包み隠さず映像化した物語。2人とも、御健在なので本編をご覧になったとは思うが、どの様な気分なのであろうか。ホーキング博士には、少し責めらたように見えたかもしれない。しかし、理論的には合っていると納得されたに違いない。


  2人は、1963年にケンブリッジ大学で出会う。この時、スティーヴンは自転車に乗ったり、ジェーンとデートしたりする普通の大学院生であった。今では、まったく想像すら出来ない姿だが、「時間を巻き戻す」とこんな感じかなと、普通の若者としてスクリーンに蘇っている。ただ、彼が黒板に書き起こす数式を眺めると、やはり、我々とは異次元の生物であることを確信する。もちろん、スティーヴンとは、ニュートンやアインシュタインと肩を並べる理論物理学者のホーキング博士のこと。かといって、ありがちな、難しい性格の人ではなさそうだ。むしろ冗談好きでユーモア溢れる人柄として描かれている。しかし、その後、彼はすぐに筋萎縮性側索硬化症=ALSを患い、余命2年の宣告を受ける。あの様な幸せの絶頂にあった好青年を襲った病に、観る者としても「何でそんな病気に」と悔やまれる。

  この物語の最初の山場は、そんなスティーヴンが将来を悲観して自閉しながらも、ジェーンはそんな境遇に怯まずに、自らの愛を貫くために結婚を決意するところにある。スティーヴンの病の重さ(余命2年)を考えると、結婚自体は彼女にとって形式宣言でしかなかったかもしれないが、この崇高なる愛情は、どの様にして培われたのか、物語が経過するにつれ、その彼女の価値観を理解できるようになる。そして、そのジェーンの励ましに支えられてスティーヴンは、テーマ=「時空の特異点」で博士号を取得する。そんな病の進行状態を、あたかも本人のように演じているエディー・レッドメイン(=スティーヴン役)はとても印象的だ。本人がその病=ALSに時間を掛けて研究してきた成果と言える。その演技には、観る者ですら手を伸ばしてスティーヴンを支えたいと思う程である。こちらにエディー・レッドメインへのインタビューがある。
 https://youtu.be/vhzCyXcnqBE

  余命2年の宣告に立ち向かいながらも、5年、10年と時が過ぎていく。しかし、病状は改善されるどころか、少しづつ悪化を辿ることになる。そこには、並外れた強固な精神でなければ、先に進めないほどの境遇が待ち構えている。そんないっぱいいっぱいの状態の中、子供たちの面倒を見ながらも、ジェーンはスティーヴンを支え続けるが、徐々に疲弊してくる。そのことをスティーヴンはよく理解していたし、自らの気持ちを抑えながらも、ジェーンに対する理論的な決断をする。そして、その結論に自ら適応してゆく。そういう互いの気持ちを理解し、あくまで理論を信じて手を差し伸べる姿こそ、 THE THEORY of  EVERYTHING の意味するところかもしれない。

  声を失っても、スティーヴンへの希望を捨てないジェーンの姿は、彼に「生きて何をなすべきか」を態度で訴え続けているようだった。それが彼女の1つの論理的原動力かもしれないが、その背景には、スティーヴンの物理学への貢献を彼の使命と考えていたし、一方で家庭を守ることも英国女性として大切な役割として認識していたようだ。そのような環境でも、互いは年齢と共に大きく成長していく。そして、互いを慈しむ気持ちが膨らんで、やがて、2人とも別のパートナと時間を過ごすようになる。その姿に、形には拘らない2人が、少々理屈っぽく生きているような気がする。25年と言う長い年月に、観る者としては息苦しさがあるが、どのシーンにも暗さは残らない。いつも希望の光が差込み、どこか輝きに満ちていた。それが、最後のシーンに結実していて、観る者も心の底から救われる。

  全体を通して、その「理由とか言い訳の言葉」が少ないため、控え目な表現に思えるかもしれないが、メンタルな部分は、「観る者の経験」で補足しなければならない。しかし、それは、あくまで論理的に正しい前提が必要になるようだ。
予告編はこちら
https://youtu.be/mw_YOjM2DbQ