自分がイメージする目標に近づくことは難しい。しかし、常にそのようなイメージを抱いて生きていくことは、とても大切なことだ。
理屈も分かっている、手順は明解だ、コツも得ている。しかし、何度やってもうまく出来ない、いや、そうなれない。このようなことは良くあることで、とても苦しみを伴う。そんな時、自分で目の前の机を叩いて、「何でだ!」と自分に渇をいれ、「反省と見直しを迫り、さらに謙虚になるよう」指導する。いわゆる「自己拷問」だ。しかし、それも、歳を重ねると徐々に耐え難いことになってしまう。素直に反省すれば、楽になれるのに、「出来ない理由」を自分以外のものにしようとする。
普通なら、そこで「自分に足りないものは何か」を探し始めなければならない。もちろん、そう決意出来た人は、努力できるし、その方法もある程度理解している。毎日毎日「それは何か」を模索し、僅かな手がかりも見落とさないよう注意する。人間は、考えてこそ進歩があり、苦しんで成長するのだ。分かったような理屈を言葉にして自己流に固まっていては、進歩がないし、その崇高なイメージに絶対に近づくことはない。謙虚になれたら、人の言うことを素直に聞く。たとえ、それがすべて承知のことでも、聞いてみることには価値がある。
また、そのイメージの解説者になることも、自分の誤りに気が付く重要なタイミングになる。相手に旨く伝わらないことも、指摘をうけることもあるだろう。自分だけのノウハウだと思っていたことも、時間がたつにつれ、陳腐な妄想だったことに気づくことさえあるのだ。「他人は誰でも優れた知恵を持っている」その知恵を引き出すのも自分の姿勢次第なのだ。
俺達は、その時々で様々な目標を立案し、完成イメージを抱いて階段を上る。そして、正しい手順を実行することで、頂点を極めることが出来きると信じる。もちろん、その目標の大小にかかわらず、手順やアプローチは同じである筈だ。そして、それは仕事にも大いに役に立つし、人生そのものだと思って差し支えない。
・・・・・と、またまた大げさに始めてしまったが、期待通り(?)今日もパスタの紹介だ。ここんとこ、毎日毎日僅かな時間を割いてパスタソースを考えて実験している。1日に2回パスタという日も少なくない。確かにお腹もきつくなった。しかし、あくまで自己流(楽しむとも言う)の練習でしかないのだ。最初は、市販のソースを併用するが、その学習の先には「飽きる」という恐怖がすぐにやってくる。だから、その都度手を変え、品を変えないと続かないに決まっている。そのために、早いうちに「食材の旨み」を体で覚えてしまわなければならない。そして最終的には、季節の安い食材を使って理論値(お湯を沸かす5分+パスタをゆでる7分)12分で作り、5分で食べ、片付け3分(合計20分)を目標にしている。これが達成できたら自作のメリットはあるし、唯一の楽しみにもできる。 今日は、まだ制作に20分もかかってしまった。 また次も頑張るぞ!
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E8%87%AA%E4%BD%9C2/%E8%87%AA%E4%BD%9C2.pdf