最近、悩みを抱えた同世代の友人から集合をかけられる事が多い。そんな時、いそいそと集合場所のファミレスに出掛けるのである。
話はだいたい決まっている。結局 「仕事が面白くない」 と人生観までも包括する話に集約されるようだ。色々理由を聞いてもしょうがない。暫く考えて、無責任にも、「よかったじゃん、辞めて少し好きなことでもやったら?」 と助言する。しかし、他に何もする気がないようだ。最近まで親父連中は、老後楽しむのに十分なお金は持って余裕をかましていたが、株価の下落でとことん気持ちが落ち込んで、先行きに不安が広がっているようだ。本人は、これから先、「自分が今までと違った人生観をもてるよう、変わらなければいけない」ことも分かっている。でも、口先だけだ。歳を重ねると人は慎重になる。にもかかわらず、「自分が変われないことにも、不安を持っている」。そんな、自己矛盾に苦しんでいるようだ。
それは恐らく 「好きなこと・得意なこと」 なんぞ、生産性の無いつまらないこと、と決め付けているからだ。いや、好きなことはお金がかかるばかりで、入ってこないことにも不満があるようだ。これを、要約すると、「お金を使う」ことが「好き」あるいは「得意」なのだ。しかし、そんな事に執着していると、結局、他人には「お金にシビア」と思われ人は離れていく。「人は大脳を使うために生まれてきた」のだ、お金を使うためではない。そんなことを好きになったり、得意になったりしても仕方がない(意外に多いが)。まずは、方向転換だ。そのために、好きなこと、あるいは得意なことを深く掘り返してみる必要がある。また、最初から成功を考えていたら、何も手を出せなくなるが、人は皆、自分なりに暖めてきた夢をもっている。ただ、好きなこと、あるいは得意なことは、どこかで人のため、社会のため、あるいは困っている人のため、という「大意名文」も必要だ。これを疎かにしてはならない。それは、幅広く社会を知ること、つまり、客観的に自分を評価することに繋がるからだ。そして、まず、自分に現実を突きつける。そこで、今は自分に能力がない事を徹底して認識すべきである。そのとき、持ち合わせたプライドが邪魔をするだろう。しかし、それをスッパリ切り捨ててこそ明日が見えるのだ。
人は脅迫されると何でもやるし、嫌でも始める。ただ、動機が不足しているから、一歩が踏み出せないのだ。だから、あえて「人が嫌がる事」を話す。そして自分にも言い聞かせているのだ。自分にはこれしか残されていないと思えばやるし、選択肢がなければ、その中で頑張るものだ。最初は、好きだ、あるいは得意だと思っていたことも、出来なくて落ち込むこともある。しかし、やっていくうちに大脳も徐々に順応して活性化してくる。3ヶ月で大脳は順応した体制を内部に作るのだ。すると、少しづつ面白くなり、いずれ上手に出来るようになるものだ。それを乗り越えたら、毎日が楽しくてしょうがない筈。さらに、その知恵で何でも制覇でもできるような気分になるものだ。たとえ、それで大成功できなくても、そのようなプロセスを踏むと、大脳は、体に良い物質を分泌するようになる(これこそが大脳を使うために生まれたという由縁だ)。それによって、充実感、爽快感、をはじめ、どこからとも無くファイトが沸いてくる。そして、その物質が減ると、再び増やそうと努力する。また、その「気持ちのよさ」を味わいたくなるのだ。とどのつまり、「好きなこと、得意なこと」は、自己最大の「普遍のリサイクル資源」なのだ。大切にしよう。
・・・・そんな話をすると、その同世代の友人は少し元気を取り戻す。でもそれは長く続かない。不足している成分が他にもある。人は、ビタミンやミネラルが不足すると気力が薄れてくる。持続力もなくなってくる。そんな疲れた同世代の親父には、これが必要だ。その栄養素は、私の田舎の近くの海で取れる、この貝にたっぷり入っている。それが「お手軽メニュー」に用意されたファミレスを紹介する。今日は、特別に話が廻りくどかったかな。でも、牡蠣を食べたら少しだけ思い出してほしい。
では、こちら
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