2008/10/18

神田シリーズ7

 宮内庁御用達の「神田の藪蕎麦」へ行くには覚悟が必要である。
 ここも、明るくかん高い声で「いらっしゃい~」と広い店内のどこからともなく、山彦のように何度も声をかけられる。「はいはい、はいはい、と首を縦に振りながら、いつもの席に座るのが常連の作法と言える。ここで迷うようでは一見の証明だ。

 お店はなかなか風情のある店構えで、「夕方には、江戸前の大工の頭領が、仕事帰りに一人で一杯ちびちびとやっている。明日の仕事の段取りを考えながら顔を赤らめ、目もうつろになりがちで、最後にざる底に残った1本1本を、やっとの思いで拾い上げて口にし、いつしか手を上げて支払いを済ませ、ほろ酔い加減のまま帰路につく」。そんな、こだわりの一流職人が通うお店なのだ。また、時折、店の前には黒塗りのベンツが何台も入口を覆う。恐らく天皇陛下(昭和)も今日は同じものを召し上がるのかなあ~と思ったものだ。それも老舗の証明なのかもしれない。なのに、決して敷居は高くなく、価格もわずか(?)に高いぐらいの設定だ。では、覚悟とは、何か、それは蕎麦屋なのに「蕎麦が少し柔らか」なことだ。

 この店は神田を代表する蕎麦処で、暖簾を大切にしたお店である。一流とは、どの料理も一切、手を抜かず、多くの工程を厳密に管理して生まれる、洗練された「変わらぬ味」を維持することでもある。毎日通っても、時々訪れても、何年かに一度しか行かなくても、同じでなければならない。それを、まさに「神田やぶそば」に学ぶわけである。 そして、このことにこそ「蕎麦が少し柔らか」な謎を解く鍵がある。

 えへん、それは、”教えられねえな”。 蕎麦修行を重ねれば、おのずと分かることだ。
 世の中には、自分の経験や論理的考察だけでは、どうにも分からないことが数多く残されている。知っていること、あるいは、経験した事以外はすべて知らないことである。それは、いくら歳を重ねても永遠に続くことなのだ。食べて美味しいと思う客と、美味しいものを提供す職人の間には、そのくらいの大きな隔たりがあることを認識しなければならない。もっとも、それは、蕎麦に限ったことではないが。 どれだけの客がそれを実感しているかどうかは分からないが、とにかく客は多い。

 少し道がそれるが、蕎麦だけなら美味しい店は沢山あるし、多少風情のある店も少なくない。辛口の蕎麦つゆを出す店もいくつかある。「家の近所にも美味しい蕎麦を出す店はある」と思われる人もいらっしゃるに違いない。そのとおりだと思う。あるいは、「セブンイレブンの蕎麦も美味い」と思う若者も多いだろう、私も全く同感である。そのことに異論を挟む余地はない。好きなものは、どの様式や形状でも好きなのだ。少々食感が違っていても満足する。それも、これも、「美味しい蕎麦を知れば知る程」そうなってゆく、蕎麦とはそういうものらしい。
では、こちら
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