2008/10/22

梅は果実

 祖母は、時々台所の床下から初夏に漬け込んだ梅の瓶を取り出して、なにやらぶつぶつと独り言を発していた。どうも、その様子と変化を見守っている。しかし、それを口にするのは、数年後ということになる。随分仕込みに時間のかかるものだ。今から50年くらい前の田舎の伝統的光景である。

 それは、毎年継続することに重点は置かれ、「何年もの」と書かれた札がついた状態で保存されていた。毎年その季節がくると、祖母と母は過去の経験を踏まえながら、よい梅を求めて街中を歩き回るようであった。「梅は紀州にきまっとるけんねえ」と八百屋のおばさんと話をしているのを聞いたことがある。梅干だけではない、私には関係はなかったが、梅酒も同様に瓶で漬けていたので、その季節二人は大忙しであった。 そして、その数年後は母が一人でそれを継承することになるわけだが、梅を広げて干したりするので、珍しく手伝うこともあった。私としては止めてほしくなかったという記憶がある。それには私なりに理由があった。

 母も億劫になったのだろう、そのうち、「買うたほうが早いんよねえ」と度々説明するようになり、いつしか自然にその年中行事は終了した。それでも良かったが、少し困る。昔は、そのようなイベントが毎月のようにやってきたし、そのイベントの前は、「勉強しんさいや」って言われることはないのだ。 これは、常々その言葉で抑圧された私にとって「自由で快活な動き」が出来る唯一の時間帯だったからだ。

 一方で、目がしょぼしょぼするくらい「すっぱい」 梅干に、子供心に閉口したものだ。「何で食べんのんねえ、食べんさいや」と、きつい口調の言葉が、いまだに耳元に印象深く残っている。いずれ、成長するに従い、梅干の効能やら、手間と時間とお金をかけているという母に洗脳されて、徐々にこの赤い実を受け入れていくようになる。そして、いつしか、「梅干」と言う言葉を耳にしただけで体が反応し、唾液が出るという条件反射を備えるようになってしまった。

 今日は、その大いなる苦痛から開放され、もっとモダンで現代風の、全く「すっぱく」ない梅干を紹介する。日本の家庭では、梅干はどこにでもあるので珍しくもないが、私のように梅干きらいの方にお勧めしたい。この「薄皮の果実」を連想するような梅干は、何の併食がなくても、単品で「美味しい」。 これと同様なものを食べた経験のある方は、そんなことはないだろうが、これを初めてご覧になると「唾液」が溢れてくるかもしれない・・・。 うふふ。
ではこちら。
http://www.nextftp.com/suyama/%E6%A2%85%E5%B9%B2/%E6%A2%85%E5%B9%B2.pdf