2014/08/30

朝日新聞 売国のDNA

  こういう見出しの付いた「9月4日号 週刊文春 発売の広告」を、朝日新聞が掲載を断ったという記事が目を引いた。至極当然の事だとは思うが、読者は、週刊文春の「追求キャンペーン 第2弾」だということで、また書店を賑わすことになる。おおよそ読者は、内容を隅々まで納得するまでは、その手の記事を読み漁る傾向がある。そこで、産経、読売はもとより週刊誌など、あらゆる情報を拾い集めて(それにも捏造が潜んでいるかもしれないが)、自分なりに筋の通った考えとしてまとめようとする。もちろん、従軍慰安婦問題に端を発し、「売国のDNA」という「朝日新聞の歴史的 売国情報操作 全て」を対象にしているから、徹底して攻撃する筈だと期待する読者も少なくない。そして、いずれ「朝日新聞=捏造新聞」として定着して不買が広がり、そこで溢れた読者を獲得したいという狙いである。ま、メディアが互いに競争しあってこそ健全な社会になるのだ。


  と言いながら、朝日新聞の捏造は悪意に満ちてはいるが、その影響は悪いことばかりではないと思うようになった。それは、反日の本質を暴くような書籍や雑誌も豊富に出回ったし、韓国人の日本国内における棲ざまじい性犯罪履歴なども知ることが出来た。また、韓国の売春婦が世界でどのくらい活躍しているかも知ったし、米国が韓国の背後で従軍慰安婦問題の糸を引いていた事も判明した。一方、米軍の兵士向けの売春婦を韓国政府が管理していたことも世界中に広く知られた。この手の話は、米軍には付き物だ。あと、ベトナム戦争での韓国軍の犯した性悪行もネットで広まった。まだまだ枚挙に暇は無いが、それなりにいい勉強になったと思う。まあ、米国と言えば、かつてホワイトハウスの中で大統領がアルバイト学生に性交渉を強要した程の国だから性犯罪も多い。また、大統領と言えば、韓国の冷酷非情な大統領もセウォル号沈没事故直後に「男と密会していた可能性がある」と朝鮮日報で報じられ、「ひえー大胆な」と驚くばかりである。余り底辺で競争されても困るが、笑える。

  そうやって様々な情報が氾濫して、悪い物が出尽くせば、いずれ淘汰に向かう。何もなかったような冷やかな時代が来るかもしれない。しかし、我慢強い日本人を怒らせた結果は、これからずっと尾を引き続け、未来永劫「細部で排他的な姿勢」が続く可能性が考えられる。人は、一度苦い思いをすると、人前や口先では社交辞令を発して優等生を装うが、常に不審感を持って警戒する傾向が強い。一方、個人的な話では、今回の件で分かった事は、小学校の頃(今から50年以上前)に父母が朝鮮系の話をしていたことと共通性があることだ。当時は学校で「人はみな平等」という風に叩き込まれていたので、父母の誹謗中傷だと疑っていたが、徐々に「このことか」と分かるようになっていった。九州や中国地方には、朝鮮半島からたくさん、日本人名を使って入り込んでいたので、区別がつきにくかったが、地域的に「危険が多いから、あの場所には近づくな」とか「注意するように」と再三言われたものだ。今では、残虐な犯罪ニュースを観て「どうしてそんなことを?」と思って調べてみると、やっぱりと納得できる。

  印象としては、日本の国民全体(特に若い人たちが)がこのような情報を通して、「いい人を装いながらも」どうすれは、身を守って世界で生き残れるか、よく考えてほしいし、「過去を学んで隣国の民度を研究しておく必要がある」とか、あるいは、「日本の教育について考え」てみたり、一方で今、国連はまともに機能しているのか、本当に危険な国はどこなのか、我々は報道に騙されていないか、等を常に情報監視を怠らないようにすることに繋がっていけば、まあ、大東亜戦争で犠牲になった諸先輩方からも、少しは満足してもらえるのではないかと思う。それにしても、この週刊文春の=朝日新聞「売国のDNA」とは、朝日新聞の戦後の悪行を広範囲に捉え、尊厳まで斬り込む姿勢が出ていて、とてもいい表現だ。
 

2014/08/29

アサイー・スムージー

   スムージーとは、野菜や果物を凍らせたものをジュースに仕上げることを指すようだ。もちろん、凍らせないで、生のままクラッシュの氷と一緒にミキサーでジュースにしても同じことだ。スムージーと言う言葉の前に緑色、黄色、紫色など、主体となる野菜、もしくは果物の色を付け加えて「緑スムージー」とか、「黄色スムージー」とか呼ぶことがある。そういう用例では、今日のスムージーは、アサイーを使っているので「紫色スムージー」と呼ばれることもある。アサイーのスムージーは、栄養バランスに優れているので人気も高い。ジュース専門のお店などでも、マンゴー系のスムージーと並んでよく売れているようだ。こういう体に優しい食品は、食欲のない夏場はもとより、季節を問わず人気が高いようだ。

  アサイーとは、ブラジル原産のヤシ科の植物で、深い紫色をした直径1.5cm程度の小さな果実。アサイーには必須脂肪酸、アミノ酸、食物繊維、ビタミンA、B、E、リン、鉄分、カルシウム、亜鉛、ポリフェノールなど、カラダに必須の栄養成分が豊富で、しかもバランスよく含まれている。また、アサイー含まれる栄養素は、ブルーベリーに良く似ており、主成分であるアントシアニンは、特に抗酸化作用に優れており、空気中に存在する風邪やウイルスなど有害成分を抑えたり、また、目にも優れた効果があると言われているため、現代人には欠かせない果実と言える。

  そのアサイーをスムージーにして飲むことで、女性は今よりずっと「美しく」なれると話題を呼んでいて、認知度がどんどん上がっている。本来は、抗酸化作用に優れ、ビタミンの壊れない生の状態でスムージーにするのが良いらしいが、ブラジル原産だと、天然物はまだ入手が難しい。そこで、こういう乾燥した商品が登場してきた。それでも十分な栄養価を含んでいる。まして、ミネラルや食物繊維はそのままだ。それに、9種類の緑黄色野菜を加えて、乾燥粉末に仕上げてあるので、これ以上望むべきもないが、この手の食品に魅力を感じるのは、平素口にしない栄養素や酵素を取り込むと、体の中で何か良い反応が起こるのではないかと期待できるからだ。

  ビタミンやミネラルなどの栄養素は、錠剤の形で摂取することもできる。しかしそれでは、今時の胃腸が弱った時期には、体に大きく負担が掛かることがある。できれば野菜や果物などの食材の形から採りたい。そもそも、アサイーに興味を持った背景は、やはり大量に含まれるアントシアニンである。その効果を期待したというのが本音である。それは、日ごろ感じる目の衰えを何とかしたいと、常々考えているからで、 先日も映画の帰りに有楽町のモアナキッチンでアサイーのスムージーを飲んだぐらいだ。この粉末状のアサイーを試してみると、意外に本物に近く酸味も程々で美味しい。胃腸の弱った今頃には丁度よい食品である。特に食物繊維が多く含まれるためか、お通じには効果があるようだ。胃腸の為に、しばらく続けてみたい。
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2014/08/26

家バル

  被災時に備えた備蓄品に、缶詰の3年という保存期間の長さが役立っている。パンの缶詰のみならず、肉や魚等を主体とした缶詰を備蓄しようとする企業や公共施設が増えている。中でも子供や老人でも開けられるプルアップ式で、常温でそのまま美味しい缶詰が熱い視線を浴びている。缶自体の寿命がほぼ3年なので、その缶詰の備蓄期間は3年が限度ということになる。期限が来る前に、新たな備蓄品が用意され、古いものは、従業員に分配される。もちろん、災害時の備蓄は、家庭でも認識は高く、最低3日程度の飲料水や食品は用意されるようになった。しかし、規模の大きな地震や火山の噴火、あるいは、雪や洪水によって、道路やライフラインが遮断されると、ほぼ1週間の備蓄が必要になると、専門筋から注意が促されるようになってきた。

  そのためには、備蓄用と日常品を区別するより、少しづつ備蓄に割り当てながら、時間が経過したものから消費へ回すという活用方法が一般的になっている。備蓄には、ただ単に備蓄用の食品を保存しておくだけでは十分とは言えない。対象になる子供からお年寄り、あるいは病気の有無まで考えなければならず、好みの商品だけに留まらず、味付けの濃さや塩分量なども適正であることが望まれるため、早めに試食して、飽きの来ない品物を多種類用意しておきたい。そのように、きめ細かく準備することで、被災時の過ごし方全般を、漏れなく準備をすることが出来るようになる。それが、より安心・安全に繋がると思われる。

  最近は、一般の海産物の缶詰に対して念入りに注意を払ってきた。とかく、一般的な保存食の塩分は多めに設定されているが、被災時は、自宅で戴くのと同じ程度の塩味に抑えられ、喉の渇きが抑えられる薄味作りが基本になる。さらに、使われている油脂も固まることのない植物系が望ましい。できるだけ、そのような視点で商品を選んで確保しておきたい。そこで、この「家バル」というキャッチフレーズが目に留まってしまった。[注)家バル=自宅にいるような気分になれる軽食の出る喫茶店もしくは酒場のこと]。それこそ、田舎で愛想のよいお姉さんのいる喫茶店で出される軽食そのものと考えられる。その様なお店では、既に定番の冷凍された食材を解凍して提供するという都会的な発想ではなく、今ある食材を上手に使って日常的な味付けを施した料理が提供されていることが多い。

  この家バルという缶詰は、原産国がタイということもあって、タイ料理の真髄と言えるような味付けである、新鮮な食材をより美味しく戴くために、そのままの姿形で缶詰にしてある。タイ料理は意外に辛いと思われがちだが、その味の中に酸味や僅かな甘みなどが加わり、塩分を減らした味付けで、缶詰になるとそれが優しさに感じられる。もちろんキャッチフレーズのように、ワインやお酒に良く合う食材となっていて、当然おつまみ的な要素も強いが、あえてスパイスを利かせて薄味の良さを引き出している。アサリのスモークは、燻製の大豆油漬けで、そのままでも美味しいが、パスタや海鮮サラダでも俄然美味しさを引き出せる。一方、サバのグリーンペッパー大豆油漬けも、さっぱりとそのまま戴けるが、焦がし醤油や山葵とも相性が良く、日常的な味付けが可能だ。
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2014/08/20

イントゥ・ザ・ストーム

  100年に1度とか、想定外とか、そんな言い訳だけで片付けられると、自然科学が現実に追い付いていない証拠だと考えられるかもしれない。確かに、地震や洪水、火山の噴火等の予測は難しいかもしれないが、最近は、天候ですら予想がつかないようだ。だからといって「多くの犠牲者が出て当然だ」という考えには誰しも納得できないだろう。どうやって、そのような自然災害から身を守るかは、明らかに別の課題といえる。そのために、自らの危機管理能力を磨く必要がある。その1つに擬似体験がある。そして、その体験を通して、周囲を眺めて危険度の高い対象を取り除く。さらに、被害を想定して、その中で生き続ける為の準備をする。また、家族を守るためにもシュミレーションは重要だ。人は、不意を食らう、あるいは、それに対する知識不足が一番危険といえる。そして、最終的な結果は全て自己責任になる。

  今日は、 「イントゥ・ザ・ストーム」を観てきた。ストームとは、「嵐とか暴風」を指す。ここでは竜巻だ。内容は容易に想像が付いていた。竜巻に吸い込まれて「ぐるぐる回転しながら中心部に到達したら」何が見えるのか、と言うことなのだろう。それでも、とにかく「その怪物」を観てみたいと思えたのである。自分がその映画の中に閉じ込められたら、どう振舞うのだろうか興味があった。自分は怖がりだからとにかく必死に逃げることを考えるだろう。しかし、映画の登場人物は、異常なほど竜巻の映像を追いかける賞金稼ぎだったり、レーダー画像の中から竜巻を発見していく研究者、廃屋の中で身動きできなくなった息子を探す父であったりと、巨大な力を備えた竜巻から逃げるのではなく、むしろ立ち向かう人々を描いている。


  容易に想像が付いていたとしても、その竜巻の破壊力は、凄まじいものがあった。また、実際に重たい岩や車、あるいはジャンボジェットが宙を舞い、人までも吸い込みながら巻き上げ、いつ落ちてきて地上にたたきつけるか分からない恐怖は、計り知れないものがある。劇場内のTCX(Toho Cinemas Extra large Screen )、いわゆる「壁一面に広がったスクリーン」とDOLBY ATMOSの立体音響再現装置(周囲、天井、背後にもスピーカを配置)によって、今そこで起こっているような錯覚を覚えながら、体は硬直してしまい、つい足を突っ張ったりしてしまう。CG/VFX を最も効果的に使ったものと言えるかもしれないが、それとは裏腹に、画像全体が携帯型のカメラで撮影したような視線でまとめられた部分が多く、カメラの手持ち撮影で巨大なTCX画面が動きすぎて、目が回るようにクラクラしてしまうが、それに伴うスピード感は良く表現されている。もう少し画面を切り変えて、動と静つまり、ハンディーの画面とシネ画像を使い分けてほしいところだ。

  この映画も、何1つ見逃さないように、食い入るように画面を追いかけ、何かを自らの知識ベースの1つとして吸収したいと考えていたにもかかわらず、映画の流れに吸い込まれてしまい、その魅力にとりつかれていった。終わった後には、「凄かった!」と何度も呟いてしまうほどだ。どうも、この映画を作った人達の目的はそこにあるようだ。竜巻の科学的根拠である発生パターンとか、多発地域の地勢的特徴、あるいは進路解析とか、そんな屁理屈は必要ない、本能に任せて逃げまくれと言っているかのようだった。しかし、全体を通して伝えたいことは、「未体験の現象には、少なからず恐怖を感じ、同時に人は冷静さを失い、体も硬直する。そうなることで、逃げるタイミングを失ったり、逃れる場所を甘く観て大怪我をする事がある」など、それに対する警告メッセージが幾つか用意されているのだ。

補足:イントゥ・ザ・ストーム
http://wwws.warnerbros.co.jp/intothestorm/  

2014/08/19

ソイジョイ新製品

  今更でもないが、「甘さが控えめだから、糖分は少ない」という概念を捨てる時代が来ている。甘く感じないものにも糖分はたくさん含まれている。そして、以前より肥満体は徐々に増え続けている。インシュリンをむやみに出さないようにして、体内で脂肪の生成を抑えることが、ダイエットに適した対処法だといわれ広まってきた。これは、「糖質を含む食材を極端に減らす事」を指す。また、それはダイエットという美的な体型維持に留まらず、健康面でも脂肪を増やさないようにすることは、働き盛りの中高年にも重要な対処法となり、今、一番注目されている。血管内に脂肪が増えると、それによって、毛細血管を多く含む臓器の働きが悪くなることで、とくに判りやすいのが眼の網膜ということになる。そして、脂肪肝、高血圧、高脂血症、糖尿病、動脈硬化等へ進展する。
 
  朝から夜遅くまで机の上のディスプレーと向き合っていると、運動不足による筋肉の減少、炭水化物の摂取によるインシュリンの放出、その習慣による脂肪の体内滞留が何十年もかけて、少しづつ臓器を機能不全へ導いていくようだ。これに気をつけるには、日頃何かに付けて低GI食品を好んで口にし、適度な運動を行い、食べすぎいないようにして、大量の水分を採り、血液を常にサラサラに保つ等の工夫が必要になる。毎日野菜を350g以上摂るは難しいことから、食べる順番に工夫するとか、食事をする時間帯などに留まらず、空腹の対処にこそ、その鍵が隠されているようだ。その時間帯に口にするのは、勿論、低GI食材でなければならない。だから、夕方会社で小腹がすいた時のおやつには、ソイジョイなど副食材が広く利用されている。ただ、同じ物は飽きるので、他社の商品も混在し幅広く利用されている。意外にも、若者のみならず年配者まで幅広く必要とされているようだ。

  ソイジョイは、何を口にしても美味しい。それは誰でも承知していることだが、このアーモンドの入ったソイジョイは、大豆の味もするが美味しすぎる。これで、本当にその使命を果たせるのか、疑問を持ちながらも、「うーむ、なるほど」と、すぐに納得出来た。 ピーナッツと同じで、こういうナッツ系の組み合わせは、それ自体も難消化性があり、素材自体にも低GI性を備えているからだ。また、ダイエット中の補助食品にナッツを勧められることもある。その理由は、栄養バランスが豊かで腹持ちが良いからだ。ソイジョイは、アーモンドとチョコレートの組み合わせに、さらに独自の難消化性食材を加えてある。この風味は我々の世代にとって、幼い時から食べ慣れたもので、馴染みが良い。これなら世代を超えて受け入れそうだ。そして、次のナッツ系商品ではマカデミアナッツを使うのではないかと勝手に想像してしまいそうだ。

  世代の違いや個人差として扱われがちだが、経験的には、ソイジョイの品種による腹持ち時間には若干違いがある。大きく分けるとフルーツ系とナッツ系に分けられる。つまり、これによって用途や目的に合わせて対象商品を少し変える必要がある。日常的な生活が静かな読書や運動と言っても買い物や散歩が主体と言う人には多少消化の良いフルーツ系が良い。一方ハードな運動や水泳、あるいは忙しい仕事に追われる生活をする人には、ナッツ系が良い。もちろん量的な面はお好みによるが、少しづつ良く噛み、大量の水分を取りながら、ゆっくり戴くのがコツ。食べる時間帯としては、オフィス勤務なら夕方16時ごろが良い。
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2014/08/15

煮焼きイラコ穴子

  去年、鰻を外食で何度食べたかと思い出してみると、おおよそ8回であった。神田きくかわ(紹介済み)3回、新宿の登亭(紹介済み)5回といったところだ。もっとも、冷凍で取り寄せている品物(紹介済み)を合わせると鰻は必要以上に食べている。贅沢というより単に好きなだけで、ステーキを食べるくらいなら鰻を選択する性分なのである。しかし、好きな物だからと言って、その美味しさに拘っているわけでもなく、やや盲目的な感情が支配してしまう。ま、みんな同じ程度に楽しみになるといった具合だ。ただ、近年、鰻の稚魚が年々減っているから、今のうち、もっと食べておきたいと思うこともあるが、こちらの寿命もあるので、死ぬまでにどのくらい食べられるか見当がつかない。

 また、いつまで食べられるか分からない背景の1つに、職人さんが減っている事も挙げられる。仕事を継承するのに、最低でも10年かかると言われていて、まさに作業はノウハウの固まりで、将来的に見て鰻職人の修業も徒労に終わってしまう可能性があるからだ。しかし、その技術は、美味しい穴子の加工にも転用できる。穴子は稚魚収穫や.養殖技術は今のところ必要ないが、.裁いて骨を取り除き、そして煮たり、さらにタレ付けて焼く、それこそ熟練の作業がそのままだ。裁き以降は、鮮度を保つため、手の込んだ作業を素早くこなす技術が必要になる。特に小ぶりな穴子は、口に入るまでに形が崩れやすく、慎重な作業の連続と言える。しかも、穴子は鰻のように高価ではないので数をこなさないと採算性が劣る。

 食べる方の我々消費者としては、穴子は、鰻より脂分が少なくヘルシーで、しかし、ビタミンAの量は同じぐらい含まれている。眼には十分良い効果が得られるらしい。毎日でも食べたいぐらいだ。私の田舎の広島では、昔から瀬戸内の穴子が広く食されていて、巻きすしやばら寿司(ちらし寿司とも言う)はもとより、もちろん、そのまま焼いても頂くが、穴子がご飯の上に並んだ弁当(穴子飯)までもが駅に並んでいる。関東の人がその弁当を口にすると、その穴子の硬さに閉口するかもしれないが、関西では鰻も穴子も魚として扱われている。つまり、蒸し上げる作業はない。ただし穴子は煮る工程を経て柔らかくしたものはある。関東の、江戸前穴子を天ぷらで頂くとか、寿司ネタとして口にするのと固さは同程度と言える。

 今日は、QVCの番組を見て「目利きが選んだ三陸産煮焼きイラコ穴子」というのを取り寄せてみた。目利きと言うのは、無秩序に高価な品物という意味ではなく、優れた仕事をして美味しく仕上げたという意味が込められている。価格は、10尾分入が税込みで 5,140 円になっている。うな重なら1.5回分の価格だが、ご飯に乗せて穴子丼なら10杯分ということ、つまり毎日食べて10日になる。イラコ穴子は三陸では最も広く収穫できる穴子として知られているが、煮焼きに加工することで、柔らかく香ばしくなって、ご飯との相性も抜群によい。さくっと朝から穴子丼という手もあり、満足できる内容だ。とにかくお安いのが嬉しい。
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2014/08/12

パッタイ:タイ焼きそば

  タイを訪れた日本人観光客に、食べ物で何が美味しかったですか?と尋ねると90%以上の人が「パッタイ」と答えるらしい。ほんとうに「それが一番美味しい物」なのか?もっと他にある筈だと、首を傾げるが、「若い人に聞いたらそうだった」のかもしれないし、年配の人では、「料理の名前を覚えられなかった」という、外国語の発音に弱い回答かもしれない。あとは、トムヤンクンが挙がる。友達のような名称で親しみがわくらしい。今日は、その「パッタイの手作りセット」を見付けて、指示通り「作ってみたら美味しかった」という話なのだが、ただ、その美味しさには根拠があって、それを知ることで、幅広く納得できたのである。

  嫌中、嫌韓ムードが国内の隅々まで広がった現在、追い打ちをかけるように中国で、米国企業の食材の問題が発覚したことから、海外から輸入される食材は、とてつもなく不安だという人が少なくない。そこで今、東南アジアに目が向けられている。特にタイ国は歴史的にも信頼感が高いが、さらに、日本の企業が現地で製造すれば、誰からも信頼されるはずだ。それが、こちらのヤマモリ株式会社の発売する商品である。同社は、明治22年の創業150年の醸造業者で、醤油醸造から調味料、味つゆ、レトルト食品などを製造し、徐々に売上高を伸ばし、現在は233億円のいわば老舗優良企業である。元々、醸造業では製品を仕上げるのに時間が掛る。その醸造期間は、慎重にも慎重に品質が管理される。途中で僅かなミスでも全ての結果が駄目になるからだ。味噌、醤油、酒などの製造業はまさに、一刻たりとも手抜きが許されない業種なのである。

  その極めて日本的な企業と言える同社が、100%出資で2004年にタイ国に進出し、日本と同じ設備の工場を建設し、同年12月より稼働を始めている。それが、レトルト食品工場「サイアムヤマモリ㈱」と醤油工場「AQYソース㈱」で、さらに、タイ国内で醤油等を販売する会社「ヤマモリトレーディング㈱」を設立している。レトルト工場では、現地の新鮮な食材(鶏肉、野菜、ハーブ&スパイス)を使ってタイカレーやトムヤムクンなどのタイフードを製造し日本へ輸出している。それらは、日本国内でスーパーやコンビニエンスストアなどで販売されており、既に馴染み深い優れたパッケージデザインで、広く知られている。国内には、女性タイファン、タイフードファンが多いこともあって販売数を伸ばしている。その一連の商品を下記に並べてみた。いつでも手軽に入手でき、本格的な美味しいカレーが安心して楽しめる。「○○○のタイカレー」のように、テレビでは宣伝していない。混同しないように。

  さて、本題のその「タイ焼きそば=ハッタイの手作りセット」に話を戻すと、パッケージされているのは、米麺と専用のソース(味の決め手)だけである。恐らく米麺は、本場現地の専門業者が製造したもので、恐らく味の決め手となる専用ソースが同社の製造品と思われる。別途、手作りの為に用意する食材は、えび、にら、もやし、卵で、調理時間は10分程度と記されている。もちろんパッケージの中は保存料は不使用である。指定の通りに作ると、甘酸っぱく香ばしい風味は、昼休みにバンコクのレストランで焼きそばを戴いているような錯覚に陥るかもしれないが、いや、それより今日は、日本の夏にぴったりくるように、和のテイストで用意してみた。食材は、ばななえび、おくら、もやし、卵 にしてみたい。卵は、全体の味がぼけないようにするために、混ぜ合わせながら固めるという指示を避けて、別途卵焼きを作って混ぜ合わせた。
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2014/08/07

GODZILLA

  このように毎日暑い日が続くと、何かスカットするような映画でも観に行きたいが、GODZILLAって、俺が生まれた翌年に製作された「ゴジラ」の米国復活版らしい。確かに最新のCG技術を使った凄さは見応えあるようだが、それって「内容は面白いの?」と疑問を持っていた。その背景にあるのが、米国人の考える怪獣である。それらは、明らさまな攻撃対象で、そこに家族を守るために戦う父親(戦士)が現れ、大声で「挨拶のよう」に「愛してる」と叫びながら、お涙頂戴なんだろう、本当にそこが臭いよね。さっさと男らしく運命を受け入れる潔さがほしいよなぁ。・・・そんな言い訳のような話はとりあえず棚に上げて、「さらに、面白そうな映画が他に無い」こともあって、字幕で観るため、すたすたと銀座まで出かけてきた。しかし、入場する前に、この「映画に隠された不吉な光景」を間近にすることになる。ゴジラのフィギアを手に取る等して、まるで、子供のようにはしゃぎまくる「じいちゃん」ばかりだ。あー。

  ゴジラをローマ字で書くと「GOJIRA」である。日本で作られたゴジラは、海外でそう表記されたに違いない。一方、この映画のタイトルは「GODZILLA」である。GODは神を指し、ZILLAとは、怪獣類を形容する意味がある。つまり「怪獣の姿をした神」と例えられる。そう解釈をすると、ハリウッド制作だが、極めて日本的な宗教観に基づく映画であると宣伝している様に見える。ま、興業収入が少なかった時の一種の責任逃れかもしれない。ところが、「北風と太陽」ではないが、米国は徹底して腕力で敵を壊滅させようとする。一方、日本には、いたるところに神様がいて、我々が悪い行動をすると時々怒りを顕わにする。しかし、それを素直に受け入れて、神様の怒りが収まる様に努力する精神性がある。その違いは、終始貫かれている。


  さて、本題に入ると、冒頭のタイトル部分は、大昔の実写映像と共にノンフィクション風に作られていて、わくわく、どきどき、期待させられる。しかし、興奮もそこまでだった。あと、水爆実験の大嘘は米国らしい手口だが、それは駄目だ!。スリーマイル島のような建物での原発の事故は、やはり、関連した東北の震災を思い起こさせ、恐ろしさが心にじわっと広がる。GODZILLAも怪獣ムートー(=*1)も、姿を見せるまでは、そこそこ緊張感のある映像を保っているが、彼らが登場すると、いきなり「怪獣パニック映画」になってしまい、放射能を吸い上げて再放出するとか、電磁パルス・エネルギーを根こそぎ吸い取るとか、色々大昔の空想が今だに、そのまま生かされている。そこに、普遍性が貫かれている。しかし、そういった既成の概念の上に成り立つストーリーなので、それなりに苦しい場面も多い。それらは、言い出せばキリがないが、空母、戦闘機、核ミサイル(北朝鮮のかと思った程だ)なども含めて、全体的にオールドファッションで構成されているところに現れている。おまけに、警察機動隊が戦時中の憲兵のように表現されていたり、礼儀知らずの子供が多い(敗戦国日本)かのような表現には、残念としか言いようがない。また、日本を代表する生物学者の芹沢教授は、これもまた感性だけで理屈のない男として、終始「驚いた不安顔」の一点張りで情けない。

  全体的に主題の流れが散漫で、「米国人家族の絆を重視した映画」なのかと誤解を与える「くささ」が匂う。やっぱり予想通りだった。また、「怪獣パニック映画」として観ると、怪獣ムートーもCGなのに着ぐるみ感が、あえて露骨に強調されすぎて、一寸いただけない。物語の終盤は、意外とシンプルで説明もなく、まるでマカロニウエスタンの「夕陽のガンマン」のように、静かに海に向かって消えていくという、「ありえへん」ストーリーになっている。日本のゴジラは、当時それでも水爆実験に対する風刺的な要素が多分にあった(第五福竜丸事件)が、そのような精神はみじんも感じられない。むしろ、ゴジラをネタに一儲けを企む米国人としては、狙いが興行成績のみに執着した作り(破壊パニックの度合いと米国人親子の絆が強調され過ぎ)にもかかわらず、古きゴジラファンまでも取り込みたいとした側面が臭う作りになってしまい、ファンからすれば残念な想いをさせられる。そして、それを示唆するかように、あの子供のようにはしゃぎまくっていた「じいちゃん」連中は、エンディングでは早々と静かに闇に立ち上がり、肩を落として消えていった。うーむ、わかる。
http://www.godzilla-movie.jp/

補足*1:怪獣ムートー(Massive Unidentified Terrestrial Organism:未確認巨大陸生物=ゴキブリの頭をつけた人型怪獣)。下半身はまるで人間。

2014/08/05

明治パーソナルBOXチョコ

  チョコレート好きは、パッケージを開ける時、最初の10粒だけにしようとか、食べ過ぎに気をつけようとか、自分なりに意思決定をしている。しかし、ひとたび封を切ると、迷いながらも、最後の1粒まで残さず口に入れてしまう勢いになる。もちろん、あらかじめ予想されることには違いないが、封を切る前には、パッケージの裏に書かれた成分などを眺めて、これは「かなり美味しそうだとか、好みの旨さに違いない」など、様々に想像を膨らませたり、パッケージに心を奪われ、時間を楽しむこともある。しかし、原材料表記から、その美味しさの度合いを想像するのは難しい。チョコレート菓子は、それほど原材料成分が似通っているからである。しかも、かつてはチョコレートと合わせるフルーツやナッツ、あるいはコーヒーなどは、その香りがチョコレートに負けてしまうこともあった。
 
  やはり、日本人の口には明治や森永の味が合っているが、最近は以前の上品さに比べて、美味しさのレンジが多少広がってきたような気がする。以前は、香料を使い過ぎると自然な美味しさが損なわれることもあったせいか、控え目の中でも抑え気味に仕上げ、それによって上品さを漂よわせていた。最近は香料そのものが自然になったこともあって、チョコレートに多少多く混ぜても違和感がないし、上品なのに薫りが際立ったチョコレートにもなる。そういう必然性を追求してきたのが日本のチョコレートで、美味しさに自然さを求め、美味しすぎると返って胡散臭く感じてしまうという、奇を衒うとか、虚飾を嫌う気持ちが「本物の美味しさを追求する顧客ニーズ」に繋がっているようだ。

  現在は、輸入品のように高額で美味しい商品を作ることは決して難しい事ではない。むしろ、低価格で美味しく、安全で長く愛される商品を作ることに重点が置かれている。つまり、より多くの人から高い評価が得られ、大人だけに留まらず、子供たちも一度にたくさん食べず、「度々買い求められるチョコレート」が優れた商品なのである。それはマーケティング的にも正しい考えと言える。さらに、顧客の囲い込み方法として、豊富な種類を用意するという「系列の選択肢」を増やすことも重要な要素になっている。いわば、商品のシリーズ化で、共通部分を増やすことによってより低価格化を進め、親しみやすく信頼感のあるラインナップを取り揃えることである。

  市場調査を深めていくと、徐々にニーズの具体像が見えてくる。しかし、顧客は気まぐれな変化も好む。そこで、如何に早く顧客ニーズの変化を捉えながら、具体化するかが重要になっている。たとえば、食べこぼしで服が汚れたり、チョコを粉砕した後の粉が飛び散るようなものは、徐々にニーズは減ってくる。机の上やパソコンの傍に置いても違和感のない、あるいはポケットから覗くとチョット可愛いスタイルになる「優れたデザイン」が好まれる。何かにつけて個人を大切にし、趣味で選べる楽しさと、全部口にしても200kcalという低カロリーの範疇を超えることもない。それが安心な美味しさに繋がるのである。今日は、ユニークで洗練されたデザインで美味しさを演出するパッケージ群を用意した。
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2014/08/01

LED ランタン

 ランタンとは、トムソーヤーの冒険などに出てくる野外用ランプのことである。遠くまで明かりが届くとは思わないが、鉄道マンはランタンを目の位置より上にあげて、遠くの線路を眺めるシーンが思い起こされる。一方、日本の伝統的な表現だと提灯(ちょうちん)になる。小泉八雲の「怪談=むじな」にでてくる長い坂道の紀伊国坂(東京)で、つるんとしたむじなの顔を確認したのが提灯である。この提灯は、侍とか、辻斬り等のシーンでは、斬られ側の重要な小道具としても馴染みがある。むじなとは、「人を化かす妖怪」で、顔に眼鼻耳口のないのっぺらぼうとされるが、「同じ穴のむじな」と言う言葉もあって、こちらは「俺も、お前も」と言う言葉が隠されて、同居もできる危険な関係を指すようだ。もちろん、むじなは民話の世界の話で、恐らくキツネ、たぬき、ハクビシンのことらしい。そんなことはどうでもよいが、ランタンと言う言葉は、懐かしく幼いころの想いを奮い立たせる響きがある。

 そんな昔話とは、似ても似つかない最新技術?を使った「LEDランタン」なるものを入手した。このランタンは、4個のモールド成形で組み合わせてあり、BRASILと緑色で表記されている。当然、ワールドカップの応援グッズとしてブラジルで大量に販売されていて、そのお土産かと思いきや、国内の会社が販売するキャンプグッズというのが本来の姿のようだ。勿論、生産国は中国となっている。また、これには凄く奇抜なアイデアが凝らしてあるにもかかわらず価格は安い(800円前後)。いずれにしても子供は口にしたり舐めたりしてはならないと思えるが、子供から老人まで、1人1台手元に置いて「夜中の防災グッズ」としても利用できそうだ。あえて唯一の課題を上げるとしたら、いざという時に「電池の寿命」が無くなっている可能性があることだ。

 商品には添付されていないが、単3乾電池を4本使用する。下部の黄色い部分を回すと電池ボックスが現れる。防災用として使用するために、今日はアルカリ電池を装着した。注意書きには充電式電池(ニッカドやニッケル系)は使用を禁じている。消費電力の表記はないが、いわゆる1.ランタンモードは明るい黄色で、光源にある周囲を囲むLED7個が一挙に点灯する。勿論、ろうそくや豆球より明るいにもかかわらず、さすがにLEDだけあって長時間明るさが継続する。さらに、2マルチカラーモードは.中央部のLED1個が赤~青~黄色など、様々に色を変えて幻想的な光を演出をする。こちらは、眠れない夜など点灯させて眺めるのも良い。本品は、このほかに良く似た類似品、同類品もあり、どれがどのような違いがあるか分らないが、この写真のタイプは、BRASIL以外に、JAPANとUSAの表記で、マルチカラーモード装備と思われる。

  LEDランタンは、子供たちが花火を上げるときの手元の明かりに使ったり、お寺の境内で肝試しに使うとか、レジャー用としては用途が広い。しかし、実用面をあえて挙げてみると、本品の上部は、フック形状になっていて、夜中ベランダで洗濯物を干す時、物干しパイプなどに引っ掛けることができる。その時は、描かれた顔のイラストのある照明部を天地逆で再構成でき、手元が明るくなる。また、最近の雷雨で停電を起こす事も度々だが、先日も都内で29,000件の停電が起こったことから、停電時間は、短い地域で30~40分程度にしても、LEDランタンは部屋数ぐらいあったほうが良い。特に台所、風呂場やトイレなど水回りの傍には常備しておきたい。また、夜中トイレに目が覚めると言う人には、割合利用価値の高いかもしれない。明りは、困ってみないとその価値は評価しにくいが、800円なら実用グッズの部類に入るだろう。
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