チョコレート好きは、パッケージを開ける時、最初の10粒だけにしようとか、食べ過ぎに気をつけようとか、自分なりに意思決定をしている。しかし、ひとたび封を切ると、迷いながらも、最後の1粒まで残さず口に入れてしまう勢いになる。もちろん、あらかじめ予想されることには違いないが、封を切る前には、パッケージの裏に書かれた成分などを眺めて、これは「かなり美味しそうだとか、好みの旨さに違いない」など、様々に想像を膨らませたり、パッケージに心を奪われ、時間を楽しむこともある。しかし、原材料表記から、その美味しさの度合いを想像するのは難しい。チョコレート菓子は、それほど原材料成分が似通っているからである。しかも、かつてはチョコレートと合わせるフルーツやナッツ、あるいはコーヒーなどは、その香りがチョコレートに負けてしまうこともあった。
やはり、日本人の口には明治や森永の味が合っているが、最近は以前の上品さに比べて、美味しさのレンジが多少広がってきたような気がする。以前は、香料を使い過ぎると自然な美味しさが損なわれることもあったせいか、控え目の中でも抑え気味に仕上げ、それによって上品さを漂よわせていた。最近は香料そのものが自然になったこともあって、チョコレートに多少多く混ぜても違和感がないし、上品なのに薫りが際立ったチョコレートにもなる。そういう必然性を追求してきたのが日本のチョコレートで、美味しさに自然さを求め、美味しすぎると返って胡散臭く感じてしまうという、奇を衒うとか、虚飾を嫌う気持ちが「本物の美味しさを追求する顧客ニーズ」に繋がっているようだ。
現在は、輸入品のように高額で美味しい商品を作ることは決して難しい事ではない。むしろ、低価格で美味しく、安全で長く愛される商品を作ることに重点が置かれている。つまり、より多くの人から高い評価が得られ、大人だけに留まらず、子供たちも一度にたくさん食べず、「度々買い求められるチョコレート」が優れた商品なのである。それはマーケティング的にも正しい考えと言える。さらに、顧客の囲い込み方法として、豊富な種類を用意するという「系列の選択肢」を増やすことも重要な要素になっている。いわば、商品のシリーズ化で、共通部分を増やすことによってより低価格化を進め、親しみやすく信頼感のあるラインナップを取り揃えることである。
市場調査を深めていくと、徐々にニーズの具体像が見えてくる。しかし、顧客は気まぐれな変化も好む。そこで、如何に早く顧客ニーズの変化を捉えながら、具体化するかが重要になっている。たとえば、食べこぼしで服が汚れたり、チョコを粉砕した後の粉が飛び散るようなものは、徐々にニーズは減ってくる。机の上やパソコンの傍に置いても違和感のない、あるいはポケットから覗くとチョット可愛いスタイルになる「優れたデザイン」が好まれる。何かにつけて個人を大切にし、趣味で選べる楽しさと、全部口にしても200kcalという低カロリーの範疇を超えることもない。それが安心な美味しさに繋がるのである。今日は、ユニークで洗練されたデザインで美味しさを演出するパッケージ群を用意した。
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