100年に1度とか、想定外とか、そんな言い訳だけで片付けられると、自然科学が現実に追い付いていない証拠だと考えられるかもしれない。確かに、地震や洪水、火山の噴火等の予測は難しいかもしれないが、最近は、天候ですら予想がつかないようだ。だからといって「多くの犠牲者が出て当然だ」という考えには誰しも納得できないだろう。どうやって、そのような自然災害から身を守るかは、明らかに別の課題といえる。そのために、自らの危機管理能力を磨く必要がある。その1つに擬似体験がある。そして、その体験を通して、周囲を眺めて危険度の高い対象を取り除く。さらに、被害を想定して、その中で生き続ける為の準備をする。また、家族を守るためにもシュミレーションは重要だ。人は、不意を食らう、あるいは、それに対する知識不足が一番危険といえる。そして、最終的な結果は全て自己責任になる。
今日は、 「イントゥ・ザ・ストーム」を観てきた。ストームとは、「嵐とか暴風」を指す。ここでは竜巻だ。内容は容易に想像が付いていた。竜巻に吸い込まれて「ぐるぐる回転しながら中心部に到達したら」何が見えるのか、と言うことなのだろう。それでも、とにかく「その怪物」を観てみたいと思えたのである。自分がその映画の中に閉じ込められたら、どう振舞うのだろうか興味があった。自分は怖がりだからとにかく必死に逃げることを考えるだろう。しかし、映画の登場人物は、異常なほど竜巻の映像を追いかける賞金稼ぎだったり、レーダー画像の中から竜巻を発見していく研究者、廃屋の中で身動きできなくなった息子を探す父であったりと、巨大な力を備えた竜巻から逃げるのではなく、むしろ立ち向かう人々を描いている。
容易に想像が付いていたとしても、その竜巻の破壊力は、凄まじいものがあった。また、実際に重たい岩や車、あるいはジャンボジェットが宙を舞い、人までも吸い込みながら巻き上げ、いつ落ちてきて地上にたたきつけるか分からない恐怖は、計り知れないものがある。劇場内のTCX(Toho Cinemas Extra large Screen )、いわゆる「壁一面に広がったスクリーン」とDOLBY ATMOSの立体音響再現装置(周囲、天井、背後にもスピーカを配置)によって、今そこで起こっているような錯覚を覚えながら、体は硬直してしまい、つい足を突っ張ったりしてしまう。CG/VFX を最も効果的に使ったものと言えるかもしれないが、それとは裏腹に、画像全体が携帯型のカメラで撮影したような視線でまとめられた部分が多く、カメラの手持ち撮影で巨大なTCX画面が動きすぎて、目が回るようにクラクラしてしまうが、それに伴うスピード感は良く表現されている。もう少し画面を切り変えて、動と静つまり、ハンディーの画面とシネ画像を使い分けてほしいところだ。
この映画も、何1つ見逃さないように、食い入るように画面を追いかけ、何かを自らの知識ベースの1つとして吸収したいと考えていたにもかかわらず、映画の流れに吸い込まれてしまい、その魅力にとりつかれていった。終わった後には、「凄かった!」と何度も呟いてしまうほどだ。どうも、この映画を作った人達の目的はそこにあるようだ。竜巻の科学的根拠である発生パターンとか、多発地域の地勢的特徴、あるいは進路解析とか、そんな屁理屈は必要ない、本能に任せて逃げまくれと言っているかのようだった。しかし、全体を通して伝えたいことは、「未体験の現象には、少なからず恐怖を感じ、同時に人は冷静さを失い、体も硬直する。そうなることで、逃げるタイミングを失ったり、逃れる場所を甘く観て大怪我をする事がある」など、それに対する警告メッセージが幾つか用意されているのだ。
補足:イントゥ・ザ・ストーム
http://wwws.warnerbros.co.jp/intothestorm/