帰り路、駅の傍に牛丼のお店がある。時間帯によっては、混んでいるようで、美味しそうな空気が路上まで広がってくる。店に入って食べたいのはやまやまだが、残さず全部食べる自信もないので、具だけを器に包んでもらい、持って帰ることがある。しかし、お店で食べるのと違って、何故か今1つ物足りなさを感じることがある。やはり、牛丼老舗店では、お店に染みついた出汁や醤油の香りの中で、あちこち目を配りながら待つのが良い。その雰囲気によって、胃袋がにわかに興奮して、より美味しく戴くことができるからだ。もちろん、器も綺麗だし、ご飯の硬さとか、添えられた奈良漬けとか、赤汁など、お店ならでは特徴が「とびきりの美味しさを演出」してくれる。しみじみと、老舗は違うなと実感するわけである。
おおよそ、トンカツ、カツ丼等も同じだが、じいちゃんとばあちゃんがやってる古くからのお店は、比較的にお肉に対する品質も高い。じいちゃんが目利きで、いいお肉を仕入れている。商売の基本が信頼されることにあることを熟知して、お肉も「飛び切り美味しくなくっちゃいけねえ」と信念を持っているようだ。それでいて押しつけがましくない、さり気無さが心地よい。そんな、少々頑な人情というか、昔の職人肌が染み付いているのだ。客はその拘りを自らの舌で幾度となく確かめ、その端正な味の虜になって通い詰めることになる。店主も客も「違いの分かる、他とは一線を画する誇り」が店内に漂っているのも好きだ。そんなお店をいっぱい馴染みにしたいと思うことがある。まだ、あと10年ぐらいは、そんなお店に遭遇できるかもしれない。
どのようなお店でも、開店当初から十分な利益を出せる訳はない。数年は初期投資の回収に苦しむようだ。それでも、「とびきりの味」を提供しなければ、その地域のお客から評価を得られず、徐々に沈んでしまう。その経営の難しさを何年もじっと我慢して乗り切ったお店は、余裕が出来始めると「益々美味しさに拘り」を持つようになる。じいちゃんとばあちゃんのお店には、そのような空気感が存在する。そこに、「少し高いがやっぱり美味しい」という、昔ながらの商売の健全性が残されている。食事処に限ったことではないが、これからは、原材料の選択肢が増えることにより、その「美味しさや食の安全に対する格差」が益々広がっていくに違いない。また、現代社会の抱えている「偽装問題や輸入物への不信」に対して、看板や広告を替えても払拭されることはない。
世の中、何が起こっても、「牛肉は国産でなくっちゃいけねえとか、やっぱり黒毛和牛だよね」と拘る人にお勧めしたいのが、今日の「牛丼の具」になる。じいちゃんとばあちゃんのお店のような老舗を探さなくても美味しい物はある。そこで、最近は「美味しい牛丼がないとお嘆きの方」にもお勧めなのが、黒毛和牛の冷凍「牛丼の素140g 10個入り」である。140gというのは、通常の商品より40g程度少ないが、ちょっと大きめの茶碗で一人前として丁度よい量になる。もちろん、丼で大盛りが好きな若者は2個使うとよい。出汁が甘めに作られていて田舎づくりを思わせるが、少し濃い目の本醤油を数滴加えると「関東風になる」。さらに、じゃがいもを使って肉じゃがにも応用できるぞ。
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