1950年代のソビエト連邦、スターリン政権下で実際に起きた連続殺人事件をモティーフにして書かれた小説の映画化である。作品は、ウクライナの孤児院から抜け出した少年(13歳)が、軍隊に拾われ、「レオと名付けられる」ところから始まる。レオは、その後第二次世界大戦時ベルリン陥落に貢献したとした英雄として1953年20歳で国家保安省=MGBの捜査官としてスパイや反体制活動家達を取り締まる仕事をしていた。
そんなある日、スパイ容疑でブロッキーの噂を耳にして取り締まりに農村地域へ行く、そこで、ブロッキーを荒野で捕まえるが、レオは少し離れた農家の方角に2発の銃声を聴いてしまう。ブロッキーを匿ったとされる農夫とその妻を見せしめに、ワシーリー(レオの部下)が銃殺してしまったのである。それを観たレオは激怒しワシーリーを酷く叱り倒す。農家には、女の子二人が取り残されてしまい、二人とも孤児院に送られる。このシーンは、その時代の社会背景、その象徴的な孤児院、それら幾重にも重なる「レオの心情」を表現しており、終盤のレオの言葉と行動に繋がる。
事件は、レオの部下で、かつての戦友でもあったアレクセイの息子が、鉄道の傍で死体で発見されるところから始まる。アレクセイは目撃者もいて殺人だとレオに訴えるが、レオは少佐の命令でそれを撤回させるべく説得する。一方、農村地域で捕らえたブロッキーは拷問を受け自供、結局処刑されるが、その供述資料の中にレオの妻のライーサの写真があり、スパイ容疑がかけられてしまう。ブロッキーを捕まえる時にワシーリーが酷く叱られたことを根に持っていたことから、彼の捏造かもしれない。それでも、妻の潔白のため証拠を探すが見つからない。そして刑罰覚悟で潔白を主張するも、モスクワから遠く離れた田舎町ヴォリスクへ左遷される。ヴォリスクでは、ネステロフ将軍の下、警官として働く。
ところが、その町でもアレクセイの息子と同じ状況の「線路の傍、溺死、内臓摘出」の殺人を観てしまう。同じ手口の殺人として、ネステロフ将軍へ訴え、事件の解決に向けて許可をもらう。ネステロフ将軍も、子供の死者の発見場所や資料や検視報告を探し、その共通性に驚き本腰を入れて捜査を開始する。線路沿いで犠牲者が出ていることから、捜査の範囲はウクライナの近くのロストフからヴォリスクという極めて広範囲を示唆し、この犠牲者が合計43名と言う事を知る。そこで、犯人は鉄道を使って移動しているという推測を立てる。
ストーリーの補足は、文章にすると怖くも何ともなくなってしまうのでこのくらいにするが、スターリン政権下でMGBとくれば、庶民は怪しいと密告されると、拷問(これが怖い)にかけられ、挙句の果てに銃殺されると言うパターンが成り行きだし、そこは、大日本帝国の憲兵、ドイツのゲシタボ、現在の中国の公安部に勝るとも劣らない野蛮な仕打ちで怖がられた。そういう緊張感が常に付きまとう中で、話が進められるため、ドアを強くノックされるだけでビクッとする様なシーンの連続になる。
レオは英雄であり、めっぽう腕っぷしも強いことから、あらゆる場面で「自力で難関を切り開く格好良さ」が印象的だった。最後は、ワシーリーとの泥沼戦まで見せてくれる。散々と言って良いほど「鋭い強さ」を見せ付けられた後になるが、彼が「それだけ」ではなかったことが分る。ただし、髪型(後ろ)はいつも怖い。音楽はロスケのクラシック、映像は限りなく冷たく美しい、時代考証も素晴らしい。さらに広範囲で技巧的な犯罪の展開、レオの強固な正義感など、ドキュメンタリーにも観えるところがより危うさを増しているが、たいへん優れた作品になっている。私にとっては、「100点満点といえる完成度」で素晴らしかった。
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余談になるが、レオ(トム・ハーディー)は、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」にも主役を張っている。