このブログにも、何処から「どのタイトル」を参照されているか、すぐ分かる仕掛けがある。食材に関するものは、年間を通して人気が高い。海外に駐在している日本の方なのか、ここ2年ぐらいは海外からの参照が35%を超えてきた。オーディオとか写真関係は、ほぼ毎日と言ってよいほど満遍なく参照されている。また、流行り物は反応が早いし、地道なものは、コンスタントに参照回数を伸ばしてくる。また、年間を通してみると季節変動要因と言うのもある。それによって、いつごろ何が探されているか知らず知らずに理解が進む。例えば、梅雨時期には「腰痛治療」の参照が急増するし、連休前には「映画の感想ページ」が増える。そのような傾向が突き付けられると、「やっぱ、俺も映画を観に行こう」と触発されるのである。
そんなことから、最近、映画を見る機会が増えた。かつては、シートの幅が狭く、空気が悪いとか、柱が邪魔で、よく見える席の範囲が狭いとか、隣にポップコーンとコーラを持って座られるのが嫌だとか、雑談を止めてほしいとか、後ろの人が髪とシートを一緒に掴んで移動するとか、背後からシートを蹴られるとか、そんな劇場の古い印象がめっきり減ってきたせいか、安心して映画の鑑賞ができるようになった。最近では、少々長編の MANDELA:LONG WALK TO FREEDOM(146分)をプレミア席で鑑賞することができた。そのシートの快適さは勿論、周囲の距離感を含めて、とても満足できるものだった。これなら週1回でも出かけたいくらいだが、残念ながらこのプレミア席は3,000円になる。私には、やはり少々高すぎる。
もちろん内容にはとても興奮するものであった。当初、「肌の色による差別」を扱う映画は、自分には遠い話と考えていた。しかし、「大統領の執事の涙」を観て以降は、観方に変化が表れたように感じる。もちろん、年齢の影響もあるかもしれない。さて、最初は暗闇に黒い物が絡み合うなど、少々退屈だったが、徐々に話に引き込まれていき、自然に闘争心が沸きあがっていく。自らもスクリーンに入り込んで、白人と戦っていることに気付く。人は環境に影響されるのか、それとも老いることでファイターで無くなるのか。マンデラは、静寂の監中で「失意の底で、したたかな悟りを開く」のである。一方牢獄の外では、政府から毎日のように拷問を受け、政府に対する憎しみが確固たる信念に変貌してゆくウイニー、仲間を率いて政府と戦うにまで成長した彼女には、他に選択肢は無かったし十分共感できるものだ。そして、時が過ぎ、27年という長い獄中生活を終えようとしていた。しかし、自由と引き換えにマンデラに科せられたことは、理不尽極まりないことだった。それでも、最大の理解者であったウイニーを時間を掛けて諭すことのできないマンデラに、少々がっかりさせられる。そして彼の導く結論は、それ自体が苦しいほど切ない。そこは、つまらん男として描かれている。
ま、60歳過ぎのおっさんの感想はどうでもよいが、話を映画館に戻すと、先鋭度の高い映像は素晴らしい。ゆったり広いシートも、さらにリクライニングで快適の極みといえよう。しかし、それにしても、耳が破壊されるのではないかと思うほどの大音量と、「それにつきまとう歪音」には閉口する。ハッとする様なリアリティーはない。ドルビーという過去の名声を借りた、余りにも押しつけがましい音づくりは、既にハイファイから遠ざかってしまっている。デジタル調と言ってしまえばそれまでだが、もしそうならば、芸術を台無しにしていると言われても仕方ない。かつて、映画館の音はもっと厚みがあって、溢れて風のような重低音が心地よかったし、中低音に重点が置かれる「疲れない音作り」にも特徴があったが、もうそんな豊かな音は出せなくなったのか。
補足1:元々ドルビーは、1968年頃TYPE Aという名でレコード業界に業務用として登場した。1972年頃には市販のカセットデッキにTYPE Bが搭載される。ほぼ同時期に映画用としても使われ始めた。当時は、ピアノなどパルシブな音(急激な音の変化)にめっぽう弱かった。当初から印象は全く良くない。
参考1:「大統領の執事の涙」
http://butler-tears.asmik-ace.co.jp/
参考2:「マンデラ自由への長い道」
http://disney-studio.jp/movies/mandela/
いずれもノンフィクション。