スアレスとは、リバプールに所属するFW ルイス・スアレス選手(ウルグアイ)の事。今回のワールドカップでは、まだフォルランのプレーは見れていないが、スアレスは、グループリーグ試合時、病み上がりなのに素晴らしいシュートを2本見せてくれた。ちょっとした簡単そうなゴールだけど「改めて上手い」と思えた。プレミアリーグで33試合に出場し31ゴールという凄い記録を達成しているにもかかわらず、スアレスは、ワールドカップ前のインタビューで「ワールドカップでゴールを決めることは、他の試合とは違って大変難しいことなんだ」と語っている。
やっぱり、周囲が認めるぐらいの実力者なのだが、リバプールで一緒にプレーするイングランド代表MFスティーブン・ジェラードが、ひざの手術を受けているスアレスへ、ワールドカップの「イングランド戦に間に合わない」ことを望んでいると語っている。もちろん、同じイングランド代表の選手も、彼を脅威に思っているに違いない。一方、フォルランは、ウルグアイ代表チーム全員が「スアレスがワールドカップ前に復帰することを望んでいる」と語っている。全員がスアレスを心の支えにしているようだ。いずれも、大きく報道されたコメントとして、1つの指標として捉えることが出来る。そのくらい、影響力のある選手といえそうだ。
スアレスの怖さは、これだけではない。本人がインタビューに答えているように「ピッチ上では感情が自分を圧倒してしまう時もある。そして、後になって後悔するような事をしてしまうんだ」と。これは試合中に「噛みつき」行為に及んだり、人種差別的な発言をしたりした事への後悔のようだ。つまり、体のあらゆる部分を使って戦うのである。これを誰が止められようか。そして、今回のワールドカップのイタリア戦でも、DFジョルジョ・キエッリーニに噛みついたらしく(映像で確認できる)、FIFAから厳しい処分を受けてしまっている。今後9試合の出場停止、4ヶ月のサッカー活動停止、10万スイスフランの罰金、ということのようだ。結局、ウルグアイはW杯決勝トーナメントに進出したが、スアレスは今後は試合に出場できず、ウルグアイに帰国することになった。
それでは、対戦相手のイタリアのFWバロテッリが試合中、相手(ウルグアイ)のDF後頭部に「飛びひざ蹴り」を与えたのはどうか、イエローカードたった1枚の処分でいいのか、レッドカードでも当然だし、もっと厳しい処分があってもおかしくないはずだ。もちろん、ある程度の肉体的な接触は、試合の性質上仕方ないとは言え、いずれも卑劣な行為に違いはないが、忍者のような「後頭部に飛びひざ蹴り」は、当たり所が悪いと被害者は死に至ることもあり、明らかに誰が観ても危険な行為といえる。しかし、一方で噛みついたところで、いくらでも避ける手立てはあるし、被害者が死に至ることはない。厳しい処分も悪くはないが、ただ「野蛮そうに見える行為」というだけでの処分では「不公平感」を拭えない。
スアレスは、まだまだ自分のプレーが満足する領域に達していないことを深く認識しているに違いない。だから、試合中にもかかわらず「後になって後悔するような事」に及ぶのだ。悔しい時、あるいは自分ではどうにもならない時、幼児性が蘇ってきて「わがまま」になって「かみつく」悪童になってしまうのである。でも一方で、それの見方を変えると、「負けると悔しい」気持ちが人一倍大きいということの顕れだと言える。「かみつく」悪童なんて、決してほめられたものではないが、それほど幼い時から「勝ち負け」に真剣にこだわったサッカーをしてきたのである。
ワールドカップという、プロスポーツの世界では、「参加することに意義がある」という甘さは微塵もない。「勝ってなんぼ」で結果が全てといえる。今回、日本では、それを隠れ蓑にして、選手やスタッフ、監督も男らしく「負けたが、言い訳はしない」と宣言したり、涙を見せて「みんな察してくれ」と言わんばかりだが、選手のみならず、監督、そして「サッカー協会が定めた目標と、成果の違いをどんどん言い訳」をすべきである。選手仲間の言い訳を聴いて「がっかり」することもあるだろうし、サッカー協会の不毛な考えに大いに落胆することもある筈だ。一方言い訳をする方は、その言い訳の中にこそ、「自らの未熟な部分を発見できるはずだし、単なる精神論に終わる戦略だったり、あるいは他人任せの甘えの精神が残っている」のが見え隠れするに違いない。今だからこそ「自ら言い訳の発言して、自ら本質的な課題に気がつく」必要があると思える。
かつて、ドイツワールドカップのブラジル戦の試合後、ピッチに仰向けに倒れたままの中田選手は、涙しながらワールドカップの試合を振り返って何を感じていたのであろうか。おそらく、彼は「周囲の幼稚なサッカーに呆れた」のではないだろうか。一生懸命やればやろうとするだけ、自らの力不足を実感するし、目標を言葉にすれば皆同じかもしれないが、選手個人個人の能力や適応力の限界に改めて気づかされたのである。そんな、大きな暗黙の壁にぶつかって落胆してしまったのだ。それは、試合を何度か一緒にしてみて、始めて認識できる、「それでも成長しないチーム」だったからである。今回も、慢性的に疲れていた本田選手の周囲で起こっていたことは、同じだったのではないだろうか。彼のコメントの中には、それが溢れていた。
補足:写真は参考画像として google から抽出・転載